世界的にはどのように見られているのか、そこまでの知見は私にはないものの、少なくとも日本においては「自然派」というワードだけが先行して、いわゆる”ムーブメント”になっている感が否めない。そこで、自然派ワインというものの価値を改めて考察してみようと思う。
そもそも自然派と呼ばれないワインは何をしているのか
自然派ワインについて語っている記事や書籍のほとんどが、自然派ワインとは何かという観点で見られているものだ。しかし、自然派は何かを語るということは、裏を返せば自然派ではないワインは何をしているのかということでもある。
では何をしているのかというと、ひとつは栽培時点での農薬等の使用。これは効率よく収穫をするという点では合理的とも言える。一方でデメリットはなにかというと、飲み手の健康への影響が最も語られる。これは様々な意見があるところではあるが、私は気にしていない。健康になりたいのであればお酒は飲むべきではない。もうひとつ、見逃してはならないデメリットがある。土壌への影響だ。本来土壌には様々な生物や細菌類がいる。土中にいるミミズを合計するだけでも、世界中の動物の合計よりも重いという説もあるくらいだ。ぶどうが生育してゆくうえで、このような生物たちの影響により栄養素を吸収し、結果としてぶどう自体の味わいに複雑味等が出てくるという説もある。私は植物学の専門家ではないので、正確なところはわからないが、ワインの飲み手としてはこちらが大きな問題になるだろう。
次に考えなければならないのは、醸造等のいわゆるワイン造りの段階での添加物である。これは酸化防止剤や安定剤、清澄剤等があるが、どのような目的で使用されるかというとその多くが時短である。本来であれば時間をかけてワイン造りを行うところを、時短とすることで資金繰りが楽になるということ。こちらも仕事としてワイン造りをしている方々の気持ちを考えれば仕方のないことかもしれない。こちらは健康に関する問題ぐらいという気もする。
自然派ワインの価値は何か
自然派ワイン以外のワインが何をしているのか整理したところで、自然派ワインの価値を改めて考えてみる。ひとつは味わいや香りに与える影響。もうひとつは伝統と歴史へのリスペクト。
ワインの醸造から熟成のプロセスは料理でいうところの加熱のようなものであると考えている。料理の場合、そのレシピによって強火で短時間が良いのか、弱火でゆっくりが良いのかは分かれると思うが、ワインの場合は弱火でゆっくりが大切になるのであろう。結果として、上記のような添加物を使用下ワインの場合は比較的単調なワインが多い気がするが、そうでないワインには複雑味を感じ、いきいきとした波動を感じる。科学的な実験をしたわけではないので、反論のある方も多いかも知れないが、私の経験則からはそう感じる。
もうひとつの、伝統と歴史へのリスペクトについて。大昔のワイン造りではもちろん科学的な添加物など使用しているはずもない。そして、効能や害は別として、その昔ながらの造り方を踏襲しているからこそ価値があるという味方もある。武道における所作や(葡萄とかけているわけではない)国の王室等の制度なんかと近い感覚かと思う。これに関してはもう「そういうものだから価値がある」としか表現できないものであるが、個人的にはこういったものは好きである。
まとめ
自然派ワインの価値は味わいへの影響と、歴史へのリスペクトであるという結論になった。
結局のところ、美味しいものを飲みたいということであれば、自然派というのは美味しくなる為の一つの手段でしかないので、自然派だから選ぶということは因果関係が逆になっている。美味しいと感じるワインなら別に自然派でなくても問題ないのではなかろうか。一方で歴史へのリスペクトということであれば、やはりその製法で造られていることに価値があるので、これは自然派でなければならないということになる。
しかしながら現在自然派を求めている方々は往々にして、「なんとなく自然派のほうがよさそう」と言った程度の認識になっている。これはなんとなく勿体無いことなのではないだろうか。
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